八巻ルリ子 年表

出身地: 埼玉県岩槻市
5歳: 5歳の頃、アメリカのホームドラマ「パートリッジファミリー」でギターを持って歌っている超ハンサム、ディビット キャシディに一目惚れして以来いつかはアメリカに行くんだと夢見る。
12歳: ロックミュージックに興味を持ち出す。クイーン、キッス、バンヘーレンなどなど。好きなバンドは、キッス。
13歳: キッスにファンレターを書くが、日本語では通じないので英語の先生に翻訳を依頼するが断られる。
14歳: キッスの歌詞カードを英語の先生の所へ持っていって解らないところを質問するが、答えは得られなかった。
英語の授業では、比較級が解らず挫折。
15歳: 高校に入り、英語とは無縁の生活を送る。
17歳: 大学進学を考えたが、進学しても英語が話せるようになる?と疑っていた。
英語を勉強するには、アメリカに行くしかないと勝手に信じる。
私の家はすし屋。寿司職人はすし屋に奉公にくる。私は、英語職人になるのだからアメリカに修業に行くしかないと思った。
18歳: この頃からアメリカ映画のファンになる。
当時のお気に入りは、マットディロン。
19歳: 結局、進学はせず就職する。営業事務のお仕事。
20歳: アメリカ留学することを決意する。ひたすら貯金の日々を送る。
24歳: アメリカ留学を決行。
父親の猛反対あり、胃痙攣で倒れることありの紆余曲折の4年間の末の結果だ。結局父親は、かかり付けの医者に娘を殺す気かと叱咤された事をきっかけに留学を許す。円満解決:)
25歳: 夢のアメリカに来たものの、毎日10時間以上の勉強の甲斐もむなしく言葉が全く通じない。毎日悔しくて泣いていた。
26歳: やっとの思いでコミカレ入学に必要なTOEFL500点以上という壁を突破し、カリフォルニア州のサンタアナコミュニティカレッジに入学する。
27歳: ここまでくればもう安心と思ったのもつかの間。寝てる時、食事をしている時意外は猛勉強の日々。語彙が違うのだ。語学学校で学ぶ英語なんて小学生以下の感じを受ける。
28歳: この頃には、アメリカ人と思われることが多くなる。常に英語の生活環境にいたからだろう。
日本からの留学生によくされた質問「どうしてルリ子さんは、そんなに自然に英語を喋れるの?」「クラスメートもアメリカ人だし、ルームメイトもアメリカ人だし、家の外も中も英語環境だからかな。」が私の答え。
28歳: 目出度くコミカレを卒業。
日本に戻り富士ゼロックス社に入社。
28〜29歳: 外国人駐在付き秘書を2年間務める。充実した毎日を送る。
30歳: 上司が帰国し、製造技術部に移動。技術部員として勤める。
日本の企業システムに馴染めず結局富士ゼロックス社を退社。
30〜31歳: オランダゼロックス社に現地採用と言う形で渡蘭。
所属部門は、国際調達部。2000人の社員の中で日本人は、私1人。
日本側、現地側の両方から頼られ、激務の日々だったが、人に奉仕することに喜びを感じる性格上辛いと思うことは一切なく、会社に行くのが毎日楽しくて仕方がない。
31歳: 結婚!
32歳: 通訳養成所で1年学ぶ。
33歳: 英語学校で半年学ぶ。
31〜35歳: 帰国後再び富士ゼロックスに戻り、アジア太平洋地区からの研修生のコンサルタントや派遣での社内通訳をする傍ら地域でのボランティア活動としての通訳も経験する。
JICA 国際協力事業団などの仕事も担当し、自分の知らない国があることも知る。通訳の仕事は大変でしたが、様々な国の方との仕事を通してお互いに切磋琢磨できる環境が好きでした。
36歳: シリコンバレーに夫の転勤に伴って移り住む。
ボランティアで地元学区の通訳や非営利団体での受付事務の手伝いをする。
39歳: English Vitamin LLC 発足
2003年秋 八巻ルリ子